RUINA RELIGIONUM


宗教による支配から、人類社会を解放する手段は無いのでしょうか?

ひとつ考えられる手が有ります。
宗教指導者以外の人間も、「人間より上位の存在」に仮託して、自らの主張を行うことにより、
宗教における権威の独占を崩す。
これにより、宗教という政治手法を利用した人の支配は崩れると考えられます。

宗教とは、
「人間より上位の存在」に、自らの発言を仮託することにより、
その存在を自らの権威の後ろ盾にして、
人を支配する政治手法の一種です。
「人間より上位の存在」としては、祖霊、精霊、神などが利用されます。

さらに可能性として、宗教は人に「強迫性障害」を引き起こさせるのではないかと思われます。
この「強迫性障害」が宗教という政治手法の武器となっているということも考えられます。

謝世輝氏の著書「スーパー世界史」の72ページから73ページによると、
>バラモン教の成立
>自然の破壊力のまえには、人間の意志と努力は全く無力のように感じられる。
>そこで大自然に対しては、人間の技術的な作為よりも、自然現象を支配するものと考えられる、神々の霊力に頼りたくなるのである。
>神々の恵みにすがるためには祭祀を行わなければならないと考えられ、したがって祭祀がきわめて重要視された。
>このように祭祀が盛んになると、司祭者の力が次第に増大していった。司祭者はヴェーダ聖典にそなわる力を持つ者(ブラフマーナ、バラモン)と呼ばれ、第一の身分・階級を形成した。
>バラモンたちは自らの特権を守るために祭祀を煩雑にし、これを独占した。王に対して祭祀を頻繁に行うよう奨励し、また、平民(ヴァイシャ)の家長に対しても、日常の宗教儀礼にバラモンを招くよう要請した。
>このようなバラモンを司祭者とする祭祀万能の宗教をバラモン教という。バラモンは祭祀を通じて神を動かし、自然現象をはじめすべてのことを思うように動かすことができると主張し、かつ、このような霊力は特殊な家系にのみ存在すると述べ、バラモン同士の婚姻規制を定め、内婚集団を作りあげていた。
(p.72-p.73より抜粋/スーパー世界史/謝世輝/講談社/ISBN4-06-254502-0)

Royal We がWeに仮託するのに対して
日本の政治家が「国民が・・・」と言って国民に仮託するのに対して
「人間より上位の存在」に仮託して自らの発言を行うのが宗教といえます。

宗教を利用して人を支配する政治体制においては、
権威の独占が鍵を握ると考えられます。

宗教における権威とは、「人間より上位の存在」の後ろ盾です。

そこで、宗教を利用して人を支配する政治体制においては、
「人間より上位の存在」の聖域化を図り、不可侵にする。これにより、
「人間より上位の存在」を後ろ盾とした権威の独占を強化する。
これにより、宗教を利用した支配体制が強化されていると考えられます。

従って逆に、
宗教における権威の独占を崩す
宗教という政治手法を利用した人類社会の支配を崩す目的に対して、
この方法が有効と考えられます。

では、どのようにすれば、「宗教における権威の独占を崩す」ことができるのでしょうか?

宗教指導者と同じことをする。
ということが考えられます。

つまり、宗教指導者以外の人間も、「人間より上位の存在」に仮託して、自らの発言を行えばよいのです。
要はハイジャックです。
「人間より上位の存在」をハイジャックすることにより、
宗教指導者以外の人間も、「人間より上位の存在」に仮託して、自らの発言を行い、
「人間より上位の存在」を自らの権威の後ろ盾にすればよいのです。

武器というものは諸刃の剣です。
使用する者が変われば、矛先が逆に向くこともありえます。
つまり、
宗教指導者以外の人間が、「人間より上位の存在」に仮託して、自らの発言を行い、攻撃の矛先を、宗教による支配体制に向けるのです。

>宗教指導者以外の人間も、「人間より上位の存在」に仮託して、自らの発言を行うことにより、
>宗教における権威の独占を崩すと、宗教という政治手法を利用した人の支配は崩れる。
以上が仮説となります。
そこで、以下でこの仮説の検証を行ってみたいと思います。

検証においては以下を実験材料として用いたいと思います。
靖国神社
理由は、
(1)知名度が高い
終戦記念日には靖国参拝がニュースになることから、本方策の影響を検証しやすい。
(2)影響力が大きい
英霊を祀っており、日本人に対して馴染みが深く、影響力が大きいと考えられるため。
(3)利用が容易
先行事例として「歸國」などがあり、応用が容易と考えられるため。

靖国神社のビジネスモデルは、英霊を利用した一種の祖霊信仰と看做すことが出来ます。
そこで、祖霊信仰を崩すことができるのかの検証を行ってみます。

「人間より上位の存在」に仮託して行う発言のテーマとしては、
以下の事例が利用できると考えられます。
大阪府における君が代起立斉唱強制問題
理由は、英霊と日の丸や君が代とは密接な関係があり、この問題に対して効果的に影響すると考えられるためです。

では、具体的にどのようにすればよいのでしょうか?
よい実例があります。
(1)
例えば、倉本聡氏の脚本を書いた「歸國」というドラマがあります。
これは、大東亜戦争で亡くなった英霊に仮託して
現代の日本に意見するという物語でした。

(2)
また例えば、加藤哲太郎氏の著書「私は貝になりたい」に以下のようなエピソードが掲載されています。
>中国語の少しわかった私は、あわれな少年の番がまわってきたとき、思わず前に出て「待ってください、八路ではない、罪がないといっています。待って下さい」と叫びましたが、命令を下したD中尉は、「(略)この処刑は中隊長殿から命ぜられた。命令は天皇陛下の命令だ。お前は命令がどんなものであるか知っているだろう。たとい間違っていても、命令は命令だ。ことの如何を問わず命令を守らなければ、戦争はできん。わかったか。わかったらひっこめ」と落ち着きはらっていうのでした。
(p.106-p.107より抜粋/加藤哲太郎/春秋社/ISBN4-393-44153-2C0095)

これらを応用します。

仮説の検証のために、以下のとおり、ひとつ試作品を組んで見ました。
ネットに投稿してどのような結果になるか見てみたいと思います。

前門の虎 後門の狼
謝れ!

お国のために命を捧げてくだすった英霊の皆様に謝れ!

日の丸や君が代を強制する光景を見て、
お国のために命を捧げてくだはった英霊の皆様は一体なんと思いはるやろか?

明治維新や日清・日露戦争でお亡くなりにならはった英霊の皆様は何のために命を捧げはったと思っとんのんや?
>つらつら上海の形勢を観るに、支那人ことごとく外国人の便役たり。英、法(フランス)の人、街市を歩行するや、清人みな避けて道を譲る。まことに上海の地は支那に属すといへども、英仏の属地といふもまた可なり。
>わが邦人といへども、すべからく心せざるべからず。支那のことにあらざるなり。
>(高杉晋作著「上海掩留日録」より抜粋)
>(p.141/方法の革命=感性の解放<徳川の平和>の弁証法/いいだもも/社会評論社/)
このために命を捧げはったんやろ。

大東亜戦争でお亡くなりにならはった英霊の皆様は何のために命を捧げはった思っとんのんや?
>東亜解放
やろ!
>さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。
>(田母神俊雄著「日本は侵略国家であったのか」より抜粋)
>(http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
このために命を捧げはったんやろ。

それやのに、
植民地の方々に対して行ったのと同じようなことを、日本人に対して、日本人自身がやって、どないすんねん(笑)。
そんなん、外国に侵略されんのと、おんなじ事やんか?\(゜O、゜)ノ

英霊の皆様は、
>支那人ことごとく外国人の便役たり。
こんな境遇を無くすために戦いはったんやで!
便役の相手を選ぶために戦いはったんとちゃうで!
そこんとこ勘違いしてへんか?

恥ずかしいと思わへんのか!
もしも、お国のために命を捧げてくだすった英霊の皆様が現代の日本に歸國されはって、日本人が日の丸掲揚や君が代の起立斉唱を強制されている現状を御覧になられはったら、一体どない思いはるやろか?
日本の国のために命を捧げはった沖縄人をはじめとする日本人や朝鮮人や台湾人の英霊の皆様はどない思ってらっしゃるやろか?
恩知らず。

英霊の皆様の思いを踏みにじりやがって。なにやっとるんや!
お国のために尊い命を捧げてくだすった英霊の皆様に恥ずかしいと思わへんのか?
英霊の皆様に謝ったらんかい!

日の丸不掲揚や君が代不起立不斉唱を貫いとる諸君!
きっと英霊の皆様は諸君等をこんなん言うて応援してはると思いまっせ。
おきばんなはれo(^-^)o

///以上 前門の虎 後門の狼
以上、まとめると、
人を支配するためには、支配する者と支配される者との間の相対的な立場の違いが利用される。
宗教においては、「人間より上位の存在」の権威を後ろ盾を利用して支配される者よりも高い立場を作り出す。

そこで、
宗教指導者以外の人間が「人間より上位の存在」を乗っ取ると、
宗教指導者以外の人間も「人間より上位の存在」の権威を後ろ盾とすることになり、
宗教指導者の人間の立場を相対的に引き下げることになる。

>宗教指導者以外の人間の立場を引き上げ、
>宗教指導者の人間の立場を相対的に引き下げる。
これにより、宗教という一種の政治手法による人の支配を崩すことが出来る。
以上が、私の考える本方策の動作原理です。

ただし、本方策に対抗する手段がひとつあります。
言論統制
宗教における権威の独占を強化することです。
「人間より上位の存在」の独占を侵す異教や異端や偽典や、さらに言論の自由は、宗教による人の支配に支障を来たします。
そのため、ガリレオの事例を見るように、宗教指導者は権力を握り続けるために、言論の自由を制限してきたのだと考えられます。

これに対抗するには、パワーゲームしか無いと思われます。
「言論の自由」を確保し続ける事は、宗教による支配から、人類社会を解放するための要となると考えられます。


宗教による支配から、人類社会を解放する手段は無いのでしょうか?

ひとつ考えられる手が有ります。
宗教指導者以外の人間も、「人間より上位の存在」に仮託して、自らの発言を行うことにより、
宗教における権威の独占を崩す。
これにより、宗教という政治手法を利用した人の支配は崩れると考えられます。

Counter Colonial Business
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7659/ccb.html

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